生きづらさの正体は、「ビリーフ」かもしれない|自分を責める前に知ってほしいこと

生きづらさの正体は、「ビリーフ」かもしれない|自分を責める前に知ってほしいこと ビリーフ・思考のクセ

「これって本当の私なんだろうか?」

「この生き方でいいんだろうか?」

「なんで私は、こんなに生きづらいんだろう?」

そんなことを四六時中考えている人は、多分そんなに多くない

ちょっと苦しくたって、ちょっとしんどくたって、「みんな、そんなもんでしょ」と、淡々と日々を生きていく

仕事をして、子どもを育てて、仲間と飲みに行ったりもして。苦労も、楽しみも、自分と周りの幸せのために。それが人生

そうやって、自分なりに折り合いをつけながら生きていく
それはそれで、ひとつの納得した生き方なんだろう

でも、私には、それがどうしてもできなかった

「なんで?」が、どうしても消えなかった

私はずっと、

「苦しいのは、なぜだ?」

「生きにくいのは、なぜだ?」

「なんだ、この違和感は?」

と思っていた

こんなに幸せを感じない人生って、おかしくないか?
なんでみんな、普通に生きていけるんだ?私はどうして、普通になれないんだ?

そんな疑問が、ずっと頭の片隅にあった

今思えば、ずいぶん面倒くさい人間で「人生なんて、そんなもんだよ」で済ませればいいものを、「いや、なんで?」と、一生懸命「運命」に歯向かって、戦いを挑んでいた

ご苦労なこった

でも、当時は本気だったのです

私は「普通になれない自分」を欠陥商品だと思っていた

飢えることもない、温かな家と清潔な環境があり
生きる事に困ることはなく、何不自由なく育ててもらった
好きなことも、させてもらった

多分、希望すれば留学もさせてくれただろうし、
私が望めば可能な限りサポートをしてくれたと思う

それなのに、自分が何のために生きているのかわからない
何をしたいのかも、よくわからない
ただ毎日を生きているけれど、そこにどんな意味があるのか、どうにも腑に落ちない

その理由のわからない苦しさやしんどさに、
どうしても慣れることができなかったし、
苦しいまま「普通」として放っておくこともできなかった

「みんな、これくらい我慢して生きているんだろうな」
と思っても、私はどうしても辛抱できない

そのうち、
「私って、社会不適合なんじゃないか」
「どこか欠陥があるんじゃないか」
と思うようになった(それはある意味正しいのだが)

そんなことを感じているのは、どうやら私だけみたいだった
幼い頃から、自分だけ周りから浮いているような感覚もあった

だから、「私は、みんなと違うんだ」そして、
「みんなが普通で、私がおかしいんだ」と納得していった

この地球、よくわからん

そこで私は考えた

この地球、よくわからん
しかし、ここで生きていくには、どうやらルールがあるらしい
だったら、そのルールに適合し、ルールを学ぶしかない

ということで、一度は自分をそこに合わせて
「物質社会で生きてやろうじゃないか」と頑張ってみた

そこそこの収入、そこそこのやりがいや仕事のポジションを得て
趣味を楽しめるようになり、仕事仲間もとても温かな人たちばかりだった

なのに、なぜだろう焦燥感はなくならない
心が折れて挫折すること、2回
1度目は結婚に失敗した30代前半と、2度目は会社員最後の30代後半

そして、ようやく2016年
私は「ビリーフリセット」に出会った

そこで初めて、「ああ、そういうことだったのか」と思った

それまで自分の中でバラバラだった疑問や謎が、少しずつ繋がっていった

「私は、どうしてこんなに頑張らないといけないと思っているんだろう?」

「どうして、人の期待に応えなければいけないと思うんだろう?」

「どうして、こんなに人との間に壁を感じるんだろう?」

その背景にある、自分の思い込みや信念に気がついていく、すると

「私がおかしい」と思っていたものが、

「私には、こういう仕組みがあるんだ!」

と見えてきた

これが、ものすごく大きかった

ビリーフを知ると、自分を責めなくてよくなる

ビリーフというのは、簡単に言えば、

「私はこういうものだ」

「世の中はこういうものだ」

という、自分の中にあるものの見方や信念のようなもの
(ビリーフが、なぜ人生にそれほど大きな影響を与えるのか、
その仕組みについては、[なぜビリーフ(潜在意識)を書き換えると「世界が変わる」のか]
でも詳しくお話しています)

例えば、

「頑張らなければ価値がない」

「人に迷惑をかけてはいけない」

「期待に応えなければならない」

「嫌われてはいけない」

そんな思い込みがあるとします

すると、それに影響されながら、物事を判断したり、行動したり、感情が動いたりする

でも、そのことに気づいていなければ、

「なんで私は、こんなに頑張ってしまうんだろう」

「どうして断れないんだろう」

「なんで、こんなことで傷つくんだろう」

と、自分を責めることになる

ところが、

「ああ、私は『期待に応えなければ』と思っているんだ」

と、その理由が見えてくると、少し違ってくる

自分を責める代わりに、

「じゃあ、私は今、本当はどうしたいんだろう?」

と、自分の内側に問いかけられるようになる

私は、ここがビリーフを知ることの大きな意味だと思っています

ビリーフは、悪者ではない

誤解して頂きたくないことなのは

ビリーフは、ただあなたを苦しめる「悪者」ではありません
その多くは、これまでの人生の中で身につけてきた、自分なりの生き方のルールです

そのルールが、かつての自分には必要だったのかもしれない

「人の期待に応える」ことで、人との関係をうまく保てたのかもしれない

「頑張る」ことで、評価されたのかもしれない

「自分の気持ちを後回しにする」ことで、誰かとの衝突を避けられたのかもしれない

だから、それを単純に「そんな考え方、やめましょう!」とは思いません

むしろ、「なぜ私は、こういう生き方をしてきたんだろう?」と、自分の成り立ちを理解するために使っていきたい

私にとってビリーフは、本心にたどり着くための「地図」のようなものです

苦しさが「情報」に変わっていく

自分の中にどんなビリーフがあるのかが見えてくると、今まで「ただ苦しい」としか思えなかったものが、少しずつ輪郭を持ちはじめます

「私は、人に嫌われることが怖いんだ」

「私は、失敗することをものすごく恐れているんだ」

「私は、自分より人を優先することが当たり前になっているんだ」

「私は、『ちゃんとしなきゃ』というルールで自分を動かしているんだ」

そうやって、「苦しい」から、「何が苦しいのか」へ
さらに、「何が苦しいのか」から、「なぜ、そこで苦しくなるのか」へ

少しずつ、自分の仕組みが見えてくる

すると、「じゃあ、ここは変えられるかもしれない」というところと、「これは今すぐ変えようとしなくていい」というところも、切り分けられるようになる

これだけでも、ずいぶん楽になります
(ただし、「頭で理由がわかっても、なぜか行動や反応がすぐには変わらない」ということもありまして、この頭と身体のズレについては、[「頭ではわかっているのに、できない」理由|本音は身体に閉じ込められている]でも書いています)

その先に「自分」が見えてくる

私がビリーフを探求してきて面白かったのは、「苦しさが減った」ことだけではありませんでした

むしろ、その先にあったもの

「私は、本当はどうしたいんだろう?」

という問いです

自分を縛っていたルールが少しずつ見えてくると、「こうしなければならない」の隙間から、「私は、こうしたい」が見えてくる

「本当は、こっちが好きだった」

「本当は、これは嫌だった」

「本当は、こんなふうに生きてみたかった」

そんな、自分の感覚や願いが少しずつわかってくる

だから私は、ビリーフを知ることを、「自分を矯正するための作業」だとは思っていません

自分を理解して、自分の人生を自分で選べるようになるための探求
そのための入り口のひとつだと思っています

「これ、ビリーフなのかな?」と思ったら

もしあなたが、

「これ、ビリーフなのかな?」

「なんで私は、こんなに生きにくいんだろう?」

「どうして、頭ではわかっているのに、同じことを繰り返してしまうんだろう?」

と思って、このブログにたどり着いたのなら

私は、その「なんで?」を、無理に消さなくてもいいと言いたい

多くの人が気にしないことを、あなたは気にしている

多くの人が「人生なんて、そんなもの」と受け入れているところで、あなたは、受け入れられずにいる

それは、単なる考えすぎなのかもしれない
あるいは、自分の中にある何かを知るための、大切な入口なのかもしれない

だから、少し探求してみてほしい

「私は、なぜここで苦しくなるんだろう?」

「何を恐れているんだろう?」

「私は、何を守ろうとしているんだろう?」

「そして、本当はどうしたいんだろう?」

そういう「生きにくい」自分に興味を持ってほしい
そこから、自分を知る
私は、それが自己理解の面白さだと思っています

その理由を知ることは、自分を責めるためではなく、
これから、自分はどう生きたいのかを選ぶため

もし今、
「自分のことを、もっとちゃんと知りたい」
と思うなら

「何が問題なのか、自分でもよくわからない」
そんなところからでも大丈夫

対話を重ねながら、何が起きているのかを一緒に整理していきましょう
まずは、カウンセリングでお話ししてみませんか

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