「頭ではわかっているのに、できない」理由|思考と身体のズレの正体

「頭ではわかっているのに、できない」理由|思考と身体のズレの正体 身体と感覚・感情

やっぱり、私はその人の本音が聞きたい

嘘偽りのない、その人の本心にしか興味がない

でも多くの人は、その本音の部分を、

「言ってはいけない」
「表現してはいけない」

と、心の奥に固く閉ざしてしまう

なぜなら、それを言ったことで、馬鹿にされたり、冷やかされたり、叱られたりした経験があるから。

「もう二度と、あんな思いをしたくない」

そうやって、自分を守るために、本音を閉じ込めるようになる

もっと難しいのは、そもそも

「本音を言ってはいけない」
「感じてもいけない」

そんな環境の中で育った人もいること

そういう人は、「言う・表現する」という段階よりずっと手前で、自分が何を感じているのかに気づくことさえ難しくなっていることがあります

幼い日に、背負った「十字架」

「感じてはいけない」
「思ってはいけない」

なんて、普通に考えれば、ずいぶん無理のある話です

でも、そのルールを自分に課したとき、その人はあまりにも幼かったのかもしれない

「それはおかしいんじゃない?」

と、少し離れたところから自分を眺めて判断する力は、まだ十分に育っていない

だから、そのときの自分にとっては、

「そうしなければならない」
「そうするしかない」

という、とても切実な生き方だった

そして困ったことに

大人になって、頭では

「別に、そんなことしなくてもいいよね」
「嫌なら嫌って言ってもいいよね」
「自分の気持ちを大切にしてもいいよね」

と理解できるようになっても、その昔のルールに従った反応が残っていることがあります

まるで、ずっと昔に自分と交わした約束を、今も律儀に守り続けているみたいに

ここに、「わかっているのに、できない」という問題があります

「わかっているのに、できない」

カウンセリングをしていると、こんな言葉を聞くことがあります

「頭ではわかってるんですよ!」

「わかってるんですけど、どうしてもできないんです!」

これ、すごくよく伺うお話です

たとえば、

「嫌なことは断っていい」

と頭では理解している

「嫌われたって、それは相手の問題」

とも思っている

なのに、いざ「NO」と言おうとすると、身体が固まる

胸が苦しくなる
お腹がギュッとなる
心臓がドキドキする
急に怖くなる
相手の顔色が気になって仕方なくなる

そして結局、

「大丈夫です」

と言ってしまう

そのあとで、

「また言えなかった……」

と自分を責める

でも、これは単純に「意志が弱い」という話ではありません

頭で理解することと、自動的に起こる感情や身体の反応は、同じものではないからです

頭でわかっても、反応はすぐには変わらない

心理療法には、大きく分けると「頭や言葉からアプローチする」方法と、「身体の感覚や反応からアプローチする」方法があります

私は前者を、「トップダウン」、後者を「ボトムアップ」と捉えています

たとえば、

ビリーフリセットや認知行動療法、スキーマ療法などでは、

「私はなぜ、そう考えるのだろう?」
「この考え方は、今の自分にとって本当に必要だろうか?」
「別の見方をすると、どうなるだろう?」

と、言葉や思考を使って、自分のパターンを理解していきます
(このビリーフの仕組みそのものについては、[なぜビリーフ(潜在意識)を書き換えると「世界が変わる」のか]でも詳しく書いています)

これは、とても大切なことです

自分がどんな思い込みを持っているのかがわかると、

「あれ? 私、ずいぶん頑張らなくちゃいけないと思ってたんだな」

と、少し距離を取って自分を見ることができるようになる

「なんだ、別に、そんなに頑張らなくてもよかったのか」

と、腑に落ちることもあります

「私、なんかおっかしなことしてたなー、てへぺろ」

くらいになって、実際の行動が変わることもある

これはこれで、大きな変化です

ところが

それでも、

「いや、頭ではわかってるんですよ!!」

というところから先に進めないことがあります

そのときは、もう少し別のところを見る必要がある

身体は、「まだ危ない」と反応しているのかもしれない

ここで大事なのは、

「頭ではわかっているから、身体がおかしい」

ということではありません

脳も身体も感情も、本来は別々に動いているわけではありません

ただ、私たちの中には、言葉で意識できる理解だけでは説明しきれない、自動的な反応のパターンがあります

過去の経験の中で、

「こうすると危ない」
「こうしたほうが安全」
「こうしていれば嫌われない」
「相手の機嫌を損ねないほうがいい」

と学習した反応が、長い時間をかけて身についていることがある

だから今の自分は、

「もう大丈夫だよ」
「今は自由にしていいよ」

と理解しているのに、

身体のほうは、以前と同じように緊張する

頭では「断っても大丈夫」と思っているのに、身体がこわばる

頭では「怒っていい」と思っているのに、怒りを感じた瞬間に、自分の中からその感情を消してしまう

頭では「好きなことをしていい」と思っているのに、いざ自由になると、何をしたいのかわからなくなる

こういうことが起こります

私は、こういうときの「できない」を、過去の経験の中で身についた身体的・感情的な反応が、今も自動的に働いている状態のひとつとして捉えています

言葉になる前に、身体は知っていることがある

私たちは、すべての経験を言葉で記憶しているわけではありません

「私は○歳のとき、こういう出来事があって、その結果こういう信念を持ちました」

なんて、きれいに整理されているわけではない

むしろ、

なんとなく怖い
身体が縮こまる
息が浅くなる
お腹が固くなる
相手の顔色をうかがう

そんな形で残っているものもあります

もちろん、こうした反応のすべてを「トラウマ」と呼べばいい、という話ではありません

大きな出来事だけではなく、日常の中で繰り返し経験したことによって、自分を守るための反応パターンが身についていることもあります

そして、それは本人にとっては、かつて必要だったものかもしれない

だから私は、それをいきなり

「そんなの、もう必要ないよ!」

と取り上げようとはしません

だって、それはその人が長いあいだ、自分を守るために使ってきたものかもしれないから

だから、身体からも見ていく

ここで、身体からのアプローチが役に立つことがあります

原始反射の統合、ロッキングなどの身体的なアプローチや、私自身が行っているさまざまなボディワーク

言葉で「大丈夫」と納得させるのではなく、

「今、身体はどうなっている?」

というところから、自分を見ていく

緊張している

怖い

力が入っている

息が止まっている

逆に、少し力が抜けた

呼吸が深くなった

身体がここにある感じがする

そういう小さな変化に気づいていく
(感情と身体がどうつながっているかについては、[「悲しみ」はどこにある?|感情は「心」ではなく「身体」から考える]でも詳しく解説しています)

すると、頭で理解するだけでは届かなかったところに、少しずつ変化が起こることがあります

私は、ここがとても面白いところだと思っています

「わかっているのに、できない」の「できない」は、単なる意志の弱さではない

そこには、その人なりの理由がある

そして、その理由を頭だけで探すのではなく、身体の反応も含めて見ていくことで、今までとは違う景色が見えてくることがあるのです

本音は、いきなり取り出せるものではない

だから、本音を取り戻すときに、私は「本音を言いましょう」とはあまり言いたくありません

だって、

いきなり本音を言えるようになることが、本当のゴールではないから

まずは、

「私は、今なにを感じている?」

「本当は、どうしたい?」

と、自分の内側に目を向けられること

そして、

「こんなことを思ってもいい」

「こんなふうに感じてもいい」

と、自分の反応を少しずつ許せるようになること

そのうえで、

「私は、どうしたいんだろう?」

を自分で選べるようになる

本音は、どこかに隠されている「正解」を見つけ出すようなものではなくて、安心して自分の内側を見られるようになる中で、少しずつ輪郭が見えてくるものなのだと思います

本音という繊細な宝物を扱うには

だからこそ、私はカウンセリングにおいて、「安心・安全」をとても大切にしています

本音という、とても繊細なものを扱うとき

「ここなら大丈夫」

と、心や身体が感じられる環境と関係性がなければ、なかなか深いところまで見ていくことはできません

いきなり会った人に、

「はい、お腹出してください」

と言われても、

「いやいや、ちょっと待ってください」

となるのが普通です(笑)

信頼関係というのは、時間をかけてつくられていくもの

だから私は、「心理を学んでいるなら、身体にもアプローチしましょう」と単純には言いません

人によって合う方法も違うし、タイミングも違う

実際、誰かから相談されて、

「今は、まだそのタイミングじゃないね」

と話して終わることだってあります

「私のところにどうぞ」と、何でもかんでも言いたいわけではないのです

その人が安心して、自分自身を見ていけること

それが、何より大切だから

カウンセリングでも、対話でも、身体へのアプローチでも、瞑想の場でも

「ここなら大丈夫かもしれない」

そんな感覚が少しずつ育っていくと、自分の内側に閉じ込めていたものが、ようやく表に出てくることがあります

そして、

「ああ、私、本当はこうしたかったんだ」

と気づく

そのとき初めて、自分の人生を自分で選び直せるようになる

私は、その瞬間に立ち会うのが好きなのです

本音は、なくなったわけではない

ただ、安心して感じたり、表現したりできるところまで、まだ辿り着いていないだけなのかもしれない

だから私は、頭でわかることも、身体で感じることも、どちらも大切にしたいと思っています

自分の本音を知ることは、

「本当の自分」を探しに行くことではなく、

今まで置き去りにしてきた自分の声を、もう一度ちゃんと聴いてあげること

そしてその声を聴きながら、

「私は、これからどう生きたい?」

と、自分自身に問い直していくことなのだと思います

「頭ではわかっているのに、どうしてもできない」
——そんな感覚に心当たりがあるなら、それは意志の弱さではなく、身体に残る反応のパターンなのかもしれません

セッションでは、思考と身体、両方の側面から、あなたのペースで、安心して自分の内側を見ていくお手伝いをしています

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