ここ最近、「自分がやっていることの(再)言語化」に取り組んでいます
マンツーマンで17名と過ごした2年間で気づいたこと
マンツーマンのコースを企画してから、2年ほどが経ちました
2021年10月に稼働させ、1年半の間、17名の方々と深い時間を過ごしてきました(現在も継続中です)
数だけ聞くと、少ないと感じられる方もいらっしゃるかもしれません
でも、3ヶ月×2期の間、毎月セッションと講座でお会いし、毎週末にメールをお送りし、そのお返事をやり取りしながら、宿題の進捗を伺い、解釈が分からない部分にもお答えしてきました
「セラピストとクライアント」「講師と受講生」という関係性以上のものを、深く築かせていただけたことに、とても感謝しています
それは私にとって、一気に親友が増えたようなものです
いえ、親友よりも、もっと深い部分でつながることができた方々です
「ターゲット」「理想の未来像」という言葉が、しっくりこない理由
この2年間で、改めて確信したことがあります
私のセッションを、知識を、体験を、どんな方に届けたいのか
その方たちに何を伝え、どうなってほしいと願っているのか
そのためには、どんな伝え方、進め方がベストなのか
マーケティング的には「ターゲット」や「メッセージ」と呼ばれるものを、自分の中で改めて言語化する必要性を感じていました(起業してから、何度も繰り返してきたことではあるのですが)
でも、この言語化が、どう頑張ってもしっくりこないのです
起業サポートのコンサルを受けると、「ターゲットを絞り、その層に響く言葉を」「理想の未来像がイメージできる言葉を」「自分の真ん中から」と指導されます
けれど、私の場合、特に「こうなってほしい」という希望がありません
だって、別に
- 輝かなくていい
- 個性を発揮しなくていい
- 貢献しなくていい
んです
かといって、「ありのままで」「そのままの自分で」「自分軸で」——そのどれもが、しっくりきません
輝かなくていい、個性を発揮しなくていい、貢献しなくていい
この世の中の誰ひとりとして、特別な何かを成し遂げたり、勝ち取ったりする必要は、まったくありません
その方が、その方らしく「存在」できれば、それでいいと思っています
そして、その「存在」を、よかったね、幸せだね、と捉えることができたなら、あとは好きなことを好きなように、伸びやかに自由にやればいい
幸せは「ハレ」の日ではなく、「ケ」の日の中にある
生きるということは、決して「ハレ」の日ばかりではありません
むしろ、圧倒的に多いのは「ケ」の日です
打ち上げ花火は美しいですが、毎日打ち上げることはできません
毎日上がらないからこそ、人はわざわざ足を運び、見にいくのです
「でっかい花火を打ち上げてやるぜ」という生き方も、もちろん素敵です
でも私自身は、花火を打ち上げることには、あまり興味がありません
むしろ何もない日常を、甘やかな香りで満たしていくことこそが「幸せ」だと思っています
淡々とした日常の中にこそ、幸せは潜んでいる
私にとっての「幸せ」のイメージは、キラキラもピカピカもしていません
もっと日常的で、もっと地味で、平坦で、淡々としたものです
それは、毎日お米を炊くような、汚れた衣類を洗うような行為です
毎日、毎食、お腹が空いたら食事の支度をする
毎日、着た服を洗い、床を掃く
地味で、面倒で、そのくせ結構頭を悩ませる、時間や手間の割に報われないルーチン
でも、その淡々とした地味で面倒な作業の中に、心からの満足で満たされる瞬間があるなら、それはとても「幸せ」なことだと思うのです
私は、炊きたてのご飯の圧力釜のふたを開けた瞬間に、そんなことを感じます
一粒一粒が小さく輝いて、香ばしい香りを立てているあの瞬間が、大好きです
掃除したてのお部屋のソファでお茶を飲む瞬間
天気の良い日に、洗濯物を干している瞬間
そしてもちろん、セッションでクライアントさまとお話ししている瞬間
ともすれば面倒とも受け取れる、日々の業務の中の「納得と責任」にこそ、「幸せ」が潜んでいることは、実は多いのかもしれません
「私が、私でよかった」ではなく「私じゃなきゃダメなんだ」
私は、私の人生でよかったと、納得して生きたいと願っています
この土地で、この仕事で、この人々と関わって生きる私
そして、あの土地で、あの両親のもとに生まれ、あの幼稚園、あの学校で育った私
全部、地続きのまま
今まで散々、「自分じゃダメだ、何かにならなきゃ」と、たくさん自己否定してきていたとしても、それも全部ひっくるめて、自分の歴史として
あなたが、あなたであることに納得できる人生であってほしいと、願っています
「私が、私でよかった」だけでなく、「私って、私じゃなきゃダメなんだ」「私の人生を生きられるのは、私だけじゃん」って
すごく当たり前のことなのですが、それを知って、納得してほしいのです
「私以外、私じゃないのに、どうやら私じゃダメみたい」という呪い
「私以外、私じゃないの」という歌がありましたが、まさにその通りで、あなた自身は、あなた以外の何者でもありません
しかし、私たちの苦しみの根っこには、「私以外、私じゃないのに、どうやら私じゃダメみたい」と思い込んだ「呪い」が、深く刺さっています
それは、尊厳を奪われ、人との信頼を奪われた状態です
私が本当に提供したいのは、ただ一緒にいること
だからまず、私を使ってほしいのです
否定されず、強制されず、叱られず、バカにされず——その環境で、あなたのそのままを、ただ受け止めてもらうという経験をしてほしい
完全に、あなたの味方である、という安心感を体験してほしいのです
ここまで書いて、私が提供していることは、実はセッションでも講座でもなく、私自身が、ただ一緒にいることなのかもしれない、と感じています
(いえ、もう少し何かしているつもりではあるのですが)
私と一緒にいることで、一番受け取ってほしいのは、「あなたは、あなた自身でいいよ」「私も、そうであるようにね」という安心感とつながり、そして自尊心なのかもしれません
まとめ:Be Yourself、あなた自身であれ
何かにならなくていい
輝かなくていい
ただ、あなたがあなたのまま、そこに存在していること
それ自体が、価値
「そのままの自分」がわからなくなったら
否定されず、強制されず、ただ受け止めてもらう経験は、一人で作り出すことが難しいこともあります。カウンセリングでは、そんな安心できる場所を一緒に作っていきます
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