「自分がわからない」のは、ずっと我慢してきたから|感謝と我慢は両立していい

「自分がわからない」のは、ずっと我慢してきたから|感謝と我慢は両立していい 自己探求・本当の気持ち

「自分がわからない」の正体は、感情が分からないこと

「自分がわからない」というご相談は、過去の私自身がそうだったこともあって、よく伺うお悩みです

「好きなことがわからない」「やりたいことがわからない」というのも、同じ系列のお悩みです

もちろん、すべての人に当てはまるわけではありません

でも、こうしたご相談に共通していることの一つに、「自分の気持ちや感情が、よくわからない」ということがあります

「自分の考えがわからない」というご相談は、あまりありません
でも、「なぜ私は、こんなふうに考えてしまうんだろう?」「どうして私は、いつも同じ行動をしてしまうんだろう?」というご相談は、よく伺います

そういうとき、その思考や行動の背景をたどっていくと、「本当は何を感じているのか」「何を怖がっているのか」「何を望んでいるのか」といった、感情や身体感覚に行き着くことがあります

つまり、「自分がわからない」というとき、自分の内側で起きていることをキャッチできていないという可能性があるんです

では、なぜ自分の気持ちや感情がわからなくなるのでしょうか

いくつかのパターンがあります

  • 嫌なことを我慢しすぎて、自分の感覚が麻痺している
  • 人や周りの意見を受け入れすぎて、自分の感覚を後回しにしている
  • 自分の気持ちを認めたり、受け入れたりすることができない
  • 自分の気持ちと向き合うことを避けている

今回は、この中でも特に多い、「我慢しすぎて、自分の気持ちがわからなくなっている」というケースについてお話しします

「我慢をやめましょう」と言われても、我慢に気づけない

まず、「嫌なことを我慢しているなら、その我慢をやめてみましょう」というのが、一つの対処法になります

……とはいえ

そもそも自分が我慢していることに気づけない人も、珍しくありません

なぜなら、「嫌だ!」って、結構強めの感情なんですよね

そして、「嫌だと言ってはいけない」「不満を言ってはいけない」「わがままを言ってはいけない」「人に迷惑をかけてはいけない」——そんなふうに信じてきた人にとって、「嫌だ」という感情そのものが、一番出してはいけないものだったりします

だから、「嫌だ!」と感じる前に、その感情を抑えてしまう

「まあ、いいか」「これくらい普通だし」「私が我慢すればいい」「相手にも事情があるし」と、自分の気持ちをなかったことにする

そうやって長い間、自分の感情をふさいで生きていると、「我慢している」ということ自体に気づかなくなることがあります

サバ缶のごとく、がっちりフタをしているんです

「嫌だなんて、そんな汚い感情、私は持っていません!」「そんなことを思うなんて、あり得ない!!」……というくらいに

だから、講座で「嫌なこと」「不満に思っていること」「どうにかしたいと思っていること」を、散々、飽きるほど出してもらうことがあります

ところが、「……特にありません」という方も、珍しくありません

でもね
セッションや講座に、それなりのお金を使って、忙しい中から時間をつくって、わざわざ来てくださっている

それなのに、「何も変えたいことがない」ということは、多分ない

変えたいことがないのではなく、「変えたいことが、自分でもまだ言葉になっていない」のかもしれないんです

だから、そんなときには、「我慢しているのかも?」という可能性を、まず検討してみる

そして、「ちょっと嫌かも」「これは、なんとなく好きじゃないかも」「本当は、もう少しこうしてほしいかも」——そんな小さな感覚から、少しずつ見つけていく

それくらいから始めて頂きたいのです

なぜ、そんなに我慢してきたのか

では、なぜ我慢してしまうのでしょう

もちろん、理由は人それぞれです

でも、多くの場合、「我慢せざるを得ない環境だった」という背景があります

自分の気持ちを伝えても、聞く耳を持ってもらえない
向き合ってもらえない、聞き入れてもらえない、理解してもらえない
何度伝えても、一向に状況が変わらない

あるいは、親自身が大変すぎて、子どもの気持ちまで受け止める余裕がない

そんな環境だったのかもしれません

そういう中で、「言っても無駄」「我慢したほうが楽」「私が合わせればいい」と学んでいく

それは、子どもにとって、とても合理的な適応なのです

だって、そのほうが、その環境の中で生きやすかったから

だから、「どうして我慢なんてしてきたんだろう」と、自分を責めなくていいんです

そのときの自分には、我慢する必要があった

まずは、そう理解してあげてほしいのです

我慢が「普通」になると、我慢に気づけなくなる

そして、もう一つ大事なことがあります

たとえば、いきなり10kgの荷物を背中に載せられたら、「重い!」と気づきますよね

でも、毎日少しずつ荷物が増えていったらどうでしょうか?

ひとつひとつは、ハンカチやTシャツだったけど、毎日毎日すこしづつ増えていって、いつのまにか10kgを超える重さにになっていたとしたら

でも、ずっと持ち続けていたとしたら、「あたりまえ」と、その重さに気が付かずに持ち続けてしまうかもしれません

長年の我慢も、それと少し似ています

ひと桁の年齢から、「嫌だけど我慢する」「言いたいけど言わない」「悲しいけど、泣かない」「怒っているけど、怒らない」ということを繰り返していると

我慢していることが、「普通」になってしまう

そうすると、「私は何が嫌なのかわからない」だけではなく、「私は何が好きなのかわからない」「何をしたいのかわからない」
ひいては、「自分自身がなぜ生きているのかわからない」というところまで、つながっていくことがあります

嫌なことを感じないようにしていると、好きなことも感じ取りにくくなる

これは、自分の気持ちを感じるセンサーそのものを、長い間使わずにきたようなものです

私自身も、まさにそうでした

割と恵まれた環境だったのに、自分がわからない

ここまでのお話をすると、「そんなに我慢してきたなら、きっと過酷な家庭環境だったんだろう」と思うかもしれません

でも、実はそうとは限りません

夫婦共働きで、その世代にしては比較的収入もあり、塾や習いごとにも行かせてもらった
大学にも行かせてもらったし、ちゃんと世話をしてもらったし、衣食住に困ったわけでもない

むしろ、「恵まれて育った」と思っている

そういう方も、案外多いんです

そして、ここがまた、ちょっと難しいところです

親を恨めない、親のせいにできないのです

「こんなに良くしてもらったのに」「何不自由なく育ててもらったのに」「ここまでしてもらったのに、不満を言うなんて贅沢だ」

そんなふうに思ってしまう

すると、「不満を感じている自分のほうがおかしい」と、自分の感情を否定してしまいます

そして、「感じないようにしよう」「考えないようにしよう」と、また自分の内側にフタをする

でも、親に感謝していることと、満たされなかったものがあることは、両立します

白黒だけで考えないでください
親か自分か、誰かを悪者にしないでください

親に感謝していても、「本当は、もっと話を聞いてほしかった」
「もっと気持ちをわかってほしかった」「一緒に喜んでほしかった」
「安心して甘えたかった」と思うことはあるのです

それは、単純に「親が悪い」or「自分が悪い」という二元論にして頂きたくない
そんなに100%で割り切れるものではありません

ただ、「私は、本当はこう感じていた」という、自分の中のちいさな「ほんとう」を、ひとつひとつすくい上げ、認めてあげてほしいのです

お金やモノでは得られないもの

お金やモノは、もらっていたのかもしれません

それは、とてもありがたいことです

でも、もしかしたら、あなたが本当に欲しかったものは、「お金」や「モノ」では得られないものだったのかもしれません

  • 話を聴いてもらうこと
  • 気持ちを受け止めてもらうこと
  • 「あなたはどうしたい?」と聞いてもらうこと
  • 失敗しても大丈夫だと感じられること
  • 安心して甘えられること
  • 嬉しいときに、一緒に喜んでもらうこと
  • 見てもらえること
  • 自分が大切に扱われていると実感できること
  • どんな自分でも、そこに居ていいと感じられること

人によって、欲しかったものは違います

だから、「親から何をもらったか」だけではなく、
「私は、本当は何が欲しかったんだろう?」と思いを馳せて頂きたいのです

「ちゃんと育ててもらった」という事実と、「それでも、私には足りなかったものがあった」という感覚は、どちらか一方が正しいわけではありません

両方、本当で大丈夫

「自分がわからない」なら、まず「嫌」を探してみる

  • 自分の好きなことがわからない
  • やりたいことがわからない
  • 自分が何を望んでいるのかわからない

そんなとき、いきなり

「あなたは何がしたいですか?」

と聞かれても、答えられなくて当然なのかもしれません、だって、長い間、自分の気持ちを後回しにしてきたのですから

だから、最初から「好き」や「やりたいこと」を探さなくても大丈夫

まずは、

「私は、本当は何を我慢しているんだろう?」

「何が嫌なんだろう?」

「『まあ、いいか』で済ませていることはないだろうか?」

と、自分の小さな「嫌」に気づいてみる

「好き」がわからなければ、まず「嫌」を

「やりたいこと」がわからなければ、まず「もうやりたくないこと」を

そこから少しずつ、

「本当は、こうしてほしかった」

「私は、こっちのほうが好きかも」

という気持ちが見えてくることがあります。

自分がわからないのは、自分の中身が空っぽだからではありません

もしかしたら、これまで自分を守るために、自分の気持ちを感じないようにしてきただけなのかもしれません

だから、まずは小さな「嫌」を見つけるところから

「私は、本当は何を我慢しているんだろう?」

そこから、自分の気持ちを探してみてください

「自分がわからない」を、一緒に紐解きたいなら

長年フタをしてきた感情は、一人で見つけるのが難しいこともあります
カウンセリングでは、あなたが我慢してきたこと、本当は欲しかったものを、一緒に丁寧に見つけていきます

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