午前中のセッションを終えてスマートフォンを覗くと、友人が「雪!」とつぶやいていました
(2022/1/8今週のそらのことばメルマガのリライト)
へえ、神奈川は雪なのだなと、少し遠い出来事のように感じながら居間へ向かうと、セッションルームのある目黒の窓の外も、真っ白な雪景色でした
私のセッションルームのあたりは坂が多く、急な下り坂をくだって来て頂かなくてはなりません
雪の日の足元を思うと心配なので、その夜のセッションのお約束を延期していただくこととしました
雪を見ると、私はいつも複雑な気持ちになります
生まれ育った北海道の景色が、淡い懐かしさとともに胸の奥に蘇る一方で、
雪がもつ厄介さや、危うさも知っているからです
毎日、朝夕の雪かき、屋根の雪下ろし
吹雪いた翌日は、玄関が開けられないこともありましたし
学校から帰ってきたら50cmも積もっていて、制服のまま雪を漕いで物置まで行き、スコップを取り出しては、車を入れられるまで雪かきをした思い出もあります
毎日の犬の散歩も、毎日毎日ゆきだるまになって、毛をブラシで解いて、乾かしてと大変でした、そんな軽い話から
酔って帰宅し、玄関前で行き倒れてしまった話、
遊んでいた子どもが雪に埋もれて春先まで行方不明となったニュース、
毎年のように起こる、雪下ろしの最中の事故
雪は美しいだけでは済まされない、そんな現実も知っていますし、実際のところ記憶にある雪は、たいそう面倒で厄介で、陰鬱で迷惑なもの、というネガティブな記憶があります
きっかけは、身内の手術
数年前、私の身内が大きな手術を受けました
手術の日は、前日から冷え込みが厳しくなり大雪になると警告が出ていたので、電車が止まることを予想し、前日から病院の近くに宿泊していました
医師から「心配はいりません」と言われていたにもかかわらず
鼓動が静かに早く、理由のわからない静かな不安が、泡立つさざ波のように身体に広がっています
何かが起こっているわけではないので、明らかに目の前の出来事に対する「反応」ではない
何かを予期している「虫の知らせ」のような感覚とも違いますが、「それ」がなんだか特定できずにいました
病棟から手術室へ向かう大きなエレベータに乗り込んだとき、突然「それ」が襲ってきました
指先が冷たくなり、寒くもないのに震えます
ぐにゃりと視界がゆがみ、頭の真ん中あたりにしびれたような、じーんと麻痺したような感覚が広がります
そこへあの日の、吹雪の光景がよみがえってきました
ふいに蘇る、幼い日の記憶
ソリに乗せられてくる母の姿、父の焦った声、回転する車――
それは、小学二年生の冬、家族で出かけたスキー場でした
山の天候が荒れていたので、私はリフト乗り場の近くで雪遊びをしながら、父と母が滑り下りてくるのを待っていました
普段もの柔らかな父が、血相を変えて慌ただしい足取りで近づいてきます
「お母さんが怪我をした」と
やがて母が担架のソリに乗せられ、吹雪の中を運ばれてきました
私の頭は真っ白、頭の中心がしびれたようになり、世界が段々と遠のいていきます
幼い私は何も言わず(言えず)ただただ静かに精神的大恐慌に陥っていました
看護師だった母は、自分の勤め先の病院へ行きたいというので、救急車に頼らず父の運転で向かうことになりました
先が見えないくらいの雪が降りしきる中、幼い私は「母が死ぬ」のではないかという恐れに圧倒され泣いていました
慌てた父がハンドルを切った車は、凍った道できれいに180度半回転
母が死ぬどころか、一歩間違えれば一家心中になりかけた――そんな記憶です
今では「あの時はみんな必死だったね」と家族の笑い話になっていますが
身体はその状態をきちんと保管していたようです
身体は記録を再現する
身体は強張り、呼吸が浅くなり、視界が狭くなり、胃のあたりがきゅっと縮こまる
ああ、あの時の私は、こんなにも怖かったのだと、すっかり忘れていたはずなのに、身体にはあの吹雪の日の恐怖が記録されていたのだと、心理学と神経科学の知識を経て理解しました
「吹雪」がトリガーとなり、一瞬でそれらの体験が再現されたのです
固く握りしめていた手をそっと開き、冷えた指先をゆっくり温めました
吸うよりも、まずは吐く
少しずつ深く、静かに意識的に、呼吸を遅く、深くしていきます
自分の腕をそっとなでながら、「もうあの時ではないよ」「今は大丈夫だよ」
そうやって、身体に語りかけていきました
トラウマと呼ぶには小さすぎる出来事でも、 身体は驚くほどそれを記憶します
繰り返される不安や苦手なパターンが、 思考や感情の問題だけではなく、身体から生まれていることも少なくありません
実際に、私の「意識下では」もうあれは過去の事、しかも全員生きているし、それほどの大問題ではなかったと、認識していました
でも、からだのどこかには、あの時、瞬間冷却したからだの反応が記録されていた、そしてその記録が「吹雪」と「身内の横たわる姿」によって引き起こされた、再現、再生された、のでしょう
この私の、からだの再現、再生は、
わかりやすい言葉では「フラッシュバック」になるのだと思います
「トラウマ」「フラッシュバック」は、決して戦争や虐待といった特別な地域の、特別な誰かに起こる遠い世界の不幸な出来事ではなく、日常的に、いつでも、誰にでも、起こり得る身近なものなのだと思うのです
理由のわからない「無力感」「罪悪感」「諦め」「悲しみ」
そして、感情の抑制が効かなかったり、繰り返し同じ感情に襲われたりも「フラッシュバック」の一部ではないかと推測しています
それに気づき、対処できるようになるためには、 知識と、そして練習が必要です
簡易的なその場の対処方法ではなく、自分の身体と心の声を聴くための、知識と練習方法をお伝えしていきたいと考えています
