やりたいことが見つからないとき、実は本当の願いに近づいている

先日のブログの続きのような感じです

自分の欲求から出てきた行動(内発的)であれば持続性がありますが、周囲の期待や評価、世間的な「こうすべき」に応じた行動(外発的)の場合、やる気は続かず、挫折や停滞につながりやすい、と書きました

ですが一番厄介なのは、本人ですら“内発的欲求”、“やりたいと心から願っている(はずの)こと”が、それすらももっと掘っていくと実は、やりたくない…ことがわかってしまう時がある

これ、ほんと厄介というか、がっかりなのですが..

やりたいことがわからなかった私が、
ようやく!つかみ取った!やりたい!!なのに!!
これすらも、違うんですか!!??
という悲痛な叫びを聞くことはあります(しゃーない)

そうなるともう、どうしていいかわからない..
と思いたくもなりますよね

かくいう私も、実はそんな経験を何度も繰り返してきた張本人ですので、そのお気持ちはわかります

写真撮ったり、アクセサリー作ったり、カバン作ったり、いろいろやっては違ったわと、右往左往してきております

では、どうすればいいのかというと――
「やりたいこと」を一発で仕留めにいこうとしないことなんです

1.「やりたくないこと」を知る

これ、前回も書いてますが、まず大切なのは、「やりたい」を探すよりも「やりたくない」を明確にすること

消去法のように見えますが、自分の心地よさや大切にしたい価値観を浮かび上がらせるための大切な作業です

「イヤだ」はあなたの大切な輪郭です
ここがあいまいな限り、自分を幸せにすることはできないのよ

2.違った!を必要以上に恐れない

「これかもしれない」と思ったら、まずは小さく試してみてほしい
続けるうちに「やっぱり違うな」と思うこともありますが、それは「失敗」ではなく、大切な「自己理解」の一歩です

私自身も、いろいろやっては違ったと気づき、後悔を繰り返しました
でも、その「違った!」の積み重ねが、徐々に自分の輪郭を描いていく、大切なプロセスでもあるのです

3.感情と身体の声に耳を澄ます

そして、あの頃の自分に教えてあげたいのがこちら
「これかもしれない」と試してみて、自分の気持ちや体感を確認してみるのが大事

うまくできないなー、でも楽しいな
難しいなー、よくわからないなー、でももうちょっとやってみよう
そんな感じなら続けてみて

呼吸が楽、視野が広く感じる、温かく感じる、もよいサイン

逆に
なんか、気が乗らないな..
無理してる気がするな..
えいっと力を入れないとやれない感じなら、やりたいことと違うのかもしれない

呼吸が浅いな、肩や背中が重い感じ、視野が狭くぎゅっとしてるなら、違うよのサインかもしれません

そこに緊張があるようなら、なにかが違う可能性が高いです
「楽しい」こと以上に、「からだが安心できる」ことが大事です

私はこれがなかなかわからなくて、相当苦しくなるまで、違うことに気が付けなかった..

4.「やりたいこと」は変化する

特に日本人は、「変わらないこと」が「よいこと」と教育されてきてしまう
石の上にも三年、雨だれ石を穿つ

昭和の時代までは「昨日はやりたかったけど、今日はもう違う」というと、飽きっぽい、ものにならない、不安定、移り気、とダメな事のように言われてきました

そういう教えがあってもよいのですが、途中でやめてはいけないという洗脳が激しすぎるし、移り変わりの激しい現代においては、デメリットの方が勝つのでは?

人は変わります
成長や経験によって、年齢や住む場所、交わる人によって、様々な要因で変わります

それは、まったくもって自然なことです
やりたいことが変わったとしても、それはダメなことではなく、進歩の証拠

まとめ

だからこそ「やりたいことをピンポイントで当てにいく(そして、それが一生続く)」のではなく、自分に多くの経験を積ませている、少しづつその的が絞れていく、そんな風にとらえてみて頂きたいのです

そして、自己探求を諦めないでほしい

自己探求、自己理解こそが、自分の人生を自分らしく生きる
自分の人生を、納得してすすめていくための道のりです