本音がわからぬ問題

やっぱり、私はその人の本音が聞きたい
嘘偽りのないその人の本心にしか興味がない

でも多くの人は、その本音の部分を
「言ってはいけない」「表現してはいけない」と、心の奥に固く閉ざしてしまう

なぜなら、それを言ったことで、馬鹿にされたり、冷やかされたり、叱られたりした、悲しい経験がるから
「もう二度とあんな思いをしたくない」と心を閉ざしてしまう

もっと悲しいのは、そもそも「本音を言ってはいけない」「感じてもいけない」
そんな環境で育った人も少なくない
そういう人は、「言う・表現する」のかなり手前で、感じることすら禁じてしまう

幼い日に十字架を背負う

感じてはいけない、思ってはいけない

なんて普通に考えれば、無理がある
けれど、その十字架を自分に課したその時は、あまりに幼すぎたのだ

無理じゃんという理性的かつ客観的な判断が、まだできない程に幼い頃からその十字架を背負っているのだ

しかも困ったことに、その幼稚と思える判断を、いい大人になってからも忠実に死守し続ける

それはもう、祈りのように、神への誓いのように

ここに、潜在意識の問題がある

わかってても、できない問題

この、潜在意識へのアプローチとして様々な技法があるわけだけど、私は
・ビリーフリセット
・認知行動療法
・スキーマ療法
・というトップダウン(思考側からのアプローチ)と

・原始反射の統合
・ロッキング
・ヒーリング…などの身体技法
といったボトムアップ(身体側からのアプローチ)を併用している

第一フェーズ:
本音を言わないは「判断」なので、思考側からのアプローチは有効
それをやることの利害、また論理性を大人の自分がきちんと精査すると
大抵は、おっかしなことしてたなーてへぺろで、捉え方が修正されるので、以降の言動が合理的に変わる

第二フェーズ:
しかしながら、頭ではわかってるんですよ!!
わかってるんですけど、どうしてもできないんですよ!!というケースがある
これは多くの人がぶつかる壁

やめたいのにやめられない、甘いものとか、お酒とか、思考とか
アディクションなんかはこの部類
最近、旅行や恋愛やスピリチュアルなんかも、アディクションとなっている方も多い気がしている

だからこそ「身体」が重要

「わかってるのにできない」というのは、

わかってる=思考・脳

できない=感情・身体

という、思考と身体のズレ

なので、身体側を説得していくしかないわけです

「できない」とはなにか

できない、は

過去の「十字架を自分に課したとき」の身体感覚の記憶なの

「判断」として定着する前の言葉にならない体感レベルの記憶

心理学や思考からどれだけ働きかけても、
「でも」「やっぱり」と感情が立ち上がるのは、無意識下の身体の記憶がよみがえるから

これが、できない(感情感覚・身体)の正体

しかもそれは、本人の意思や意識と関係なく起きてしまう

(トラウマの再現などという表現もありますが、一般的に解釈されるトラウマの範疇ではないトラウマがあり、その辺の解説はまた後日書きます)

まぁ、なので心理学を何年も学んできたけど、どこか楽にならない、わかった気がしてしまって進めないという方は、身体の記憶を扱っていくとブレイクスルーになりやすいんです

そして、身体を感じる事が怖いと言われる方が多いのも、見たくないもん見ちゃうんじゃないかしら?という恐怖感なわけで、怖い人ほどアタリではあるのですけどね

本音、本心を取り戻すために

心理学を何年も学んでも、どこかしんどさが残っている、空虚な感じがするという方は、
ぜひ身体にも目を向けてみてほしい

ただし、身体へのアプローチは、本当に個人差やタイミングがあるので
「このセラピーが正解!」とは一概に言えない
実際に試してみて「合わなかった…」というケースもあるあるです

なので、「私のところにどうぞ!」と言いたいけど、言いきれないなぁとも思ったり、「行きたい!」と言われても、話し合って今じゃないねとなるケースも何件かありました

そしてなにより
本音という繊細な宝物を扱う際には“安心・安全”と心から感じられる環境と関係性が不可欠なの

いきなりあった人にお腹出すのって抵抗があるのが普通ですもの

これは相手との信頼の積み重ねが大切と捉えているから

セッションやお話会や瞑想会などで

「ここなら大丈夫」と思える感覚が育っていく——

そんな関係性を、丁寧に築いていけたらなと思ってます