心理学者であり精神分析学者でもあるジョン・ボウルビィが確立した「愛着理論」という考え方があります
子供は社会的、精神的発達を正常に行うために、少なくとも一人の養育者と親密な関係を維持しなければならず、それが無ければ、子供は社会的、心理学的な問題を抱えるようになる愛着理論 wikipedia
この理論によると、子どもが健やかに社会的・精神的に発達していくためには、少なくとも一人の養育者との深い結びつき、つまり「愛着」が必要だとされています
この関係がうまく築けないと、子どもは後々、心理的・社会的な問題を抱える可能性があると言われます(愛着障害という言葉を聞いたことがあるかもしれません)
例えば、幼い子どもは不安や恐怖、驚きといったストレスを感じたとき、自然と養育者に甘えたり、そばに寄って安心を求める行動をとります
これは「他者を通して安心を得ようとする」本能的な行動であり、子どもの心と身体に「安心できる記憶」を刻む大切な体験です
このようなやりとりを重ねる事で「愛着」が形成されていくと言われています
私はこの「愛着形成」を、「安心安全の体感の獲得」と捉えています
とはいえ現実には、いつでも養育者が子どものそばにいられるとは限りません
親に心の余裕がなかったり、子どものサインに気づけない状況もあるでしょう
そうした中で、「安心安全の体感の獲得」がうまくできないまま育つ子どももいるのです
例としては、事件、事故やケガ、病気、突発的なアクシデントなどの、体験としてわかりやすいものから、
おむつが濡れても替えてもらえなかったり、自分が欲しいものとは違うものを与えられ続けたりすることも、愛着の形成に影響を及ぼすという説もあります
もしそうだとしたなら、完璧に愛着を築けた子どもなんて、実は誰一人いないのかもしれません
実際、セッションなどでよく耳にするのは、「泣いても誰も来てくれなかった」とか、「突然お母さんと離れ離れになった」といった体験です
たとえば、きょうだいが生まれたタイミングだったり、お母さんやご家族のどなたかが入院したり、ご両親が離婚されたり、さまざまな背景があります
私自身も小さい頃に、母が看護師で夜勤があったため、真っ暗な部屋で一人で目を覚まし、怖くても泣けずにじっと闇を見つめていた記憶があります(怖い思いのまま固まっていたわけです)
この体験は、その後の私に「ひとりで耐えなければならない」「誰も助けてくれる人はいない」「世界は冷たい」という考えとして記憶されました
このように、うまく愛着が築けなかった経験(安心安全の再確認)は、大人になった後の「世界の見え方」「ものごとの捉え方」「他者との関わり方」に深く関わってきます
夜中に目を覚ました私を、誰かが抱っこして、背中をなでて、怖くないよと声をかけてくれていたら、この記憶は怖い記憶ではなく、安心を得た温かな記憶となっていたのかもしれませんが、実際のところ、そうはならなかったのです
私のセッションでは、今の状況に影響を与えている、潜在意識の奥深くにある記憶をつきとめ、その紐づけをほどいていきます
その際に、お伝えしていることが
「今のあなたは、安心安全を自分で築き、自分に与える事ができる」ということです
私たちは、受け取ってこれなかったこと、与えてもらえなかったことを、痛みの記憶として保持し、どこかで被害者、弱者として生きてしまいます
それは私たち自身の力を、気力を奪い、楽しさや、熱意や、創造性を奪います
それは同時に、精神の一部を子どものまま生きているという意味でもあります
ここで必要になるのが、「セルフ・コンパッション」です
自分を愛する、自分を大事にする、大切にする方法です
思いやりを、ご自身に向ける、とご説明することもあります
例えば、親しい友人のように、妹のように、ご自身を見てみたり
過去のご自身を、振り返ってみるようなセラピーもあります
ただ、自分を愛する、自分を大事にするって、ちょっと日本人にはピンとこないんですよね
そんな方へおすすめしているのは、まずそのまま「事実の確認をする」です
褒めてあげると良い、感謝してあげるといい、とも言いますが(できるなら是非やってね)
私はなんかそれが嘘くさくて出来なかったのでwまずは、
「今日は、仕事大変だったね」「疲れてるのに、晩御飯作ったね」
もっとできたはずでしょ?こんなくらいで疲れちゃって情けない!
厳しい叱咤激励は、ちょっと収めておいて、淡々と「事実の確認」をしてください
どんな言葉を費やすよりも「事実」が一番強いのです
あなたがやったことも、やらなかったことも
得たことも、得られなかったことも
この「事実」をそのまま認めることが、心の足場を固める土台となります