喧嘩のほんとの原因

最近、ちらっと“揉め事”のような出来事を、横目で見る機会がありまして
それをきっかけに、少し書いておこうかなと思いました

いざこざや対人関係のトラブルって、
結局はすべて、ここに集約されるんじゃないかと感じています

「私の思い通りにしてくれない!」

こうして文字にしてしまうと、
「子どもみたい」「わがままじゃない?」なんて思うかもしれません
でも、突き詰めていくと、本質はここなのではないかと思うのです

そして、その「思い通り」の中身をもう少し分解してみると…

  1. 私を優先してくれない
  2. 私を好きでいてくれない
  3. 私のわがままを許容してくれない

…こんなパターンが浮かび上がってきます

あるいは、こんなふうに否定形で現れることもあります

  • 「私って、最後なんだ…」
  • 「私じゃないんだ…」
  • 「私じゃダメなんだ…」

どんな人でも、多かれ少なかれ
相手に対して「こうしてほしい」という期待は持っているものです
期待、それ自体は何も悪いことではありません

むしろ、「まったく期待がない」という方がいたとしたら、
過去に自分の期待を叶えてもらえなかった経験が積み重なって、
もう期待することを“諦めてしまっている”可能性もあるかもしれません
(私自身がまさに、そうでした)

ただ、問題になるのは――
その期待が強くなりすぎて、
相手を「自分の思い通りにしたい!」という執着になってしまうこと

この執着という“魔物”は、
怒り、悲しみ、自責、他責……
いろんな感情を巻き起こします。

「こうしてくれなきゃイヤ!」
「なんで、そうしてくれないの!」

そんな強烈な反応として、現れてしまうのです

この反応が対人関係をこじらせてしまい、
人との距離がギクシャクしてしまう――
そんなご相談を、これまでにたくさん伺ってきました

特に、この「私の思い通りにしてくれない!」という思いは、
距離の近い人ほど湧きやすくなります

どうしてかというと、
親しい人には「自分と同じ価値観・感受性があるはず」って、
無意識に思い込んでしまいやすいから

でも、それは「思い込み」です

どんなに仲の良い友人でも、恋人でも、親子であっても――
違う肉体を持ち、違う人生を歩んできた「他人」です

それなのに、
「親友なんだから、こうしてくれるはず」
「夫なんだから、こうするべき」
といった“無言の期待”を、ついつい抱いてしまう

この「無言の期待」こそが、

「私の思い通りにしてくれるべき!」

という思いの根っこなんです

本人にとっては“あまりに当たり前の価値観”だから、
それが「自分の期待」だと気づきにくいんですね

これが、喧嘩やすれ違いの本当の原因

つまり、「他人」であるというのは、
ビリーフが異なる存在ということでもあるのです

「私とあなたは、根っこにある前提が違うかもしれない」
この意識があるだけで、「無言の期待」は減っていきます

――とはいえ、それを日常で意識し続けるのって、
案外難しいことですよね

その理由のひとつは、
この期待が「無言」= 無意識だからです。

あまりにも深く身体に沁みついている「常識」や「普通」は、
なかなか表に出てきません
気づかないくらい深く根を張っているんです

それが、ビリーフ(思い込み)のやっかいなところ

だからこそ、対策として大事なのは――
「言語化」「アウトプット」すること

つまり、無言の期待を「言葉にしてみる」

たとえば、

「あぁ、私はこんなことを相手に期待していたんだな」
と、まずは自分で“見える化”してみる

書き出してみると、客観的に見ることができるので、
とてもおすすめです

自分のビリーフと対話する第一歩、ぜひ試してみて